バイヨラはカンパーニャ、ナポリ湾に浮かぶイスキア島の造り手です。
ビオディナミを実践し、フィルターや清澄も行わず、一切のSO2の添加も行わない自然派ワインです。
醸造と熟成も畑の真ん中で行うという徹底したこだわりで、仕上がったワインはとても個性的。
揮発酸などネガティブな要素がありながら、それを補う旨みや他の要素が一体となっていて、
とても纏まりを感じさせてくれます。飲むほどに癖になっていくワインです。
↓輸入元エヴィーノさんのブログ
https://ameblo.jp/needs-gorizia/page-3.html
以下インポーター資料より抜粋
"ナポリ湾西部に浮かぶフレグレエ群島最大の島であるイスキア島。
近年は温泉地、リゾート地として有名ですが、元来は島の産業はすべてブドウ栽培で成り立っていた。
ビアンコレッラやフォラステッラといった地ブドウが有名ではあるが、
起源を辿ると紀元前700年にギリシャ人が上陸し、イタリア、スペイン、フランスとワイン用のブドウが
伝播した起源と言われている。
当主であるフランチェスコ イアーコノは、イスキア島で生まれ幼少期を過ごした。
父の仕事の関係でミラノへと移り住み、奇しくもワイン造りの道へ進み、エノロゴ(醸造家)として
フランチャコルタやアルトアディジェのワイナリーで働いていた。
40歳を過ぎ、父の死もあり親戚の残るイスキア島へ戻ったフランチェスコ。
幼少期に見てきたイスキアのブドウ栽培、ワイン造りの風景は大きく姿を
変え、
畑は放棄され町は多くの観光客で溢れていた。多くの農家が畑を手放し、残るワイナリーも
もちろんありましたが、彼曰く「イスキアにいる100%の造り手は、農薬、化学肥料に頼った栽培と、
完全にコントロールされた大量生産のための醸造方法でしかない。」と言い切っていました。
近代的なワイン造り、醸造を知り尽くした彼だからこそ、現代の醸造学の問題点と、
伝統的なワイン造りの素晴らしさを最も身近に感じていたと言います。
この完全に淘汰されてしまったイスキアのワイン造りを復活させたい、
そしてイスキアの原風景を取り戻すため、イスキアの土地でブドウ栽培、ワイン醸造をスタートします。
畑の標高は200mほど、急斜面の上に開けた0.7haの畑、イスキア島の地ブドウであるビアンコレッラ、
フォラステッラを植えずに、マルヴァジーア、ヴェルメンティーノ、
ソーヴィニヨンブラン、ヴィオニエなど
2001に植樹した。畑では一切の農薬や化学肥料を使わずに、ビオディナミによる農法を行う。
銅と硫黄物についても限りなく少ない量に留め、自然由来のエッセンスなどを代用する方法にチャレンジしている。
現時点で硫黄は使用せず、銅は1haあたり600gまでにとどめている。
畑に残る農薬の影響が無くなるまでに10年の歳月を費やしたと話すフランチェスコ。
2010年より実験的な醸造を続け、初めてのボトリングは2013。バイヨーラには小さな作業小屋はあったものの、
醸造を行うカンティーナが存在しなかった、、。この土地の景観を変えてまでワインを造るのはおかしいし、
何よりも今ある環境を最大限に活用するべき、そう考えたフランチェスコ。
「Vino in Vigna」直訳すると畑のワイン、畑の中心にあった貯水槽(非常に古いもので、農業用水を貯めるために作られた)を、
醗酵・熟成を行うタンクに改造。完熟したブドウは、収穫しすぐに隣接するタンクの中で緩やかに醗酵。
圧搾するまで約1から2か月、醗酵が終わり果帽が沈み込んだタイミングで圧搾を行う。
そのまま屋外のタンクで12か月の熟成。瓶内で6か月の熟成。当然ながらフィルターや清澄は行わず、
一切のSO2を添加していない。それは収穫してすぐに醗酵槽に入れる、そして瓶内に残ったオリによって
ワインが守られているから必要がない、と言い切る。「醸造学校で教えてきた身でありながら、
実際に造るワインはそのタブーをことごとく踏襲したものばかり、、。矛盾していると思われるかもしれないけれど、
学校で教えることは本当のワイン造りではない、モダンな画一化されたワイン、
毎年変わらない味わいのワインを造るための技術であって、大量生産のための手段でしかない。
自然というものと対峙して、ワインを造るためには、年による変化も、バクテリアや酸化の影響も
受け入れていくのは当然の事。」醸造についてはすさまじい知識と情報量を持つフランチェスコ、
しかし彼自身が本当に造りたいワインに必要なのは、知識でも技術でもない「自然と対峙する意志」と、
状況を受け入れる「柔軟性」。イスキアという特殊な土地環境を生かした無理のない柔軟な価値観と醸造哲学、
イスキアのイメージを覆す、楽しみある造り手の一人です。