以下インポーター資料より抜粋しました。
フィリッポ カッペッラーノによってセッラルンガ ダルバに約60ヘクタールという広大な敷地を取得して1870年に創業したカッペッラーノ。
1886年にフィリッポが亡くなると、2代目となった長男のジョヴァンニ(当時19歳だったため大学は中退)は宿泊施設を建設、
アルバの鉄道駅までの馬車の運行を始め、観光に力を入れました。
1912年、フィロキセラに耐性のあるブドウを探すためにチュニジアを訪れていたジョヴァンニが帰国後に熱帯性の病で急死し、
弟のジュゼッペにワイナリーは引き継がれ、地元で絶大な支持を得て一族は隆盛を極めます。
自社畑のブドウにとどまらず、買いブドウでもワインを造っていたこともあり、
そのブドウの目利きから「カッペッラーノが買ったブドウ」という言葉が、
そのブドウの品質の高さを保証するものと認識されていたという逸話も残されています。
1955年にジュゼッペが逝去、息子フランチェスコへとバトンが渡りますが、
1968年にフランチェスコが亡くなり、息子のテオバルドへと受け継がれ、
数多くいたジュゼッペの息子や孫たちへの財産分与の中で、敷地は分割され、
カッペッラーノ本家に残されたのはワイナリーと2.6ヘクタールの畑のみとなりました。
1980年代、自根のミケ(ネッビオーロのクローンの1種)を植樹(現在はロゼと呼ばれる亜種も植わっている)。
2009年にテオバルドが64歳で亡くなったため、急遽息子のアウグストがカッペッラーノの運営を引き継ぐ形となりました。
畑でのアプローチや醸造哲学は父のイズムを完全に踏襲していますが、天才肌だった父テオバルドがワイナリーに遺していった数々の“混沌”を何年もかけ整理しつつ、
自身のアイデアを持ち込みワイナリー内のマイナーチェンジを図っています。
カッペッラーノが所有するオティン フィオリンは、セッラルンガ ダルバの中央西側にあるガブッティの中にある南向き斜面のクリュです。
以上インポーター資料より抜粋しました。