以下インポーター資料より抜粋しました。
Bertran Gautherotベルトラン・ゴトロは、シャンパーニュ地方最南端に位置するオーブ県のBuxieres sur Arceビュシエール・シュル・アルス村の農家に生まれました。
代々農業とブドウ栽培を家業とする家系で、当社でご紹介しております
《リシャール・シュルラン》は母方の従兄弟にあたります。
兄が農業を受け継ぎ、ベルトランはブドウ畑を受け継ぎました。
父の代まで化学肥料を使用していたため、収穫量が大変多く、ブドウを協同組合に売っていました。
1992年にベルトランが畑を継いですぐさま有機栽培に転換し、’93年から除草剤の散布をやめました。
が、長年にわたる化学肥料の影響で樹勢が強く、なかなか収量を抑えることができず、理想のブドウを得るまで時間がかかりました。
ようやく2001年ヴィンテージを最初のリリースとすることができました。
その間、土壌分析の世界的権威であるクロード・ブルギニョンに栽培の教えを乞い、‘98年からはビオディナミを実践し、’99年からアンセルム・セロスのかたわらでシャンパーニュ造りを学びました。
日本のネットショップでの説明に「アンセルム・セロスの弟子」と称される造り手は何人かいます。
が、アンセルムのもとで学んだジェローム・プレヴォーによれば、
「実際にはアンセルムはけっして弟子をとらない。
真剣に自然な醸造によるシャンパーニュ造りを目指す者には、アンセルムは扉をあけ、日常の作業をとおして経験の中で身に付けたアンセルム流の秘伝をわかちあう。
自ら教えるというような態度をとらずに、質問をすればどんなことでも答え、一緒に考えてくれた」ということです。
その意味では、ベルトランをふくめてすべての者が「アンセルムの弟子」ではなく、どのように、なにを学んだかが問題なのです。
ベルトランは、アンセルムの考え方と問題解決法から多大なヒントと影響をうけた醸造方法によって、
2001年最初の(キュヴェ・フィデル)を4000本(ピノ・ノワール100%)造りだしました。
2002年と2003年は5000本、2004年は10000本の生産量でしたが、今後もこれ以上生産量を増やす予定はありません。
発酵・熟成の多くは225リットルの樽でおこなわれますが(《アルノー・アンテ》など、ブルゴーニュの造り手から譲り受けています)、
シャルドネは2002年に買った400リットルの樽で発酵・熟成されます。
私は、シャブリでただ一人高質なヴァン・ナチュールを造る《アリス・エ・オリヴィエ・ドゥ・ムール》に紹介されて、このワインに出会いました。
オリヴィエは、「ベルトランのシャンパーニュを味わったら、ほとんど他のシャンパーニュはもう飲めない」と言いながら、強く私に会いに行くようにすすめてくれました。
今ではすでに、パリの有名ビストロでひっぱりだこで、たとえば“バラタン“の黒板では、シャンパーニュは《ジャック・セロス》、
《ジェローム・プレヴォー》そして《ヴエット・エ・ソルベ》の3種類だけがオンリストされています。
いつも申し上げていることですが、(株)ラシーヌがシャンパーニュを選ぶ基準は〈造り手の個性とテロワールを映し出した、気品とエレガンスを備えたワインであること〉です。
現在この国で話題になっている、「ビオ」の名のもとに売られているシャンパーニュには、とかく気品とエレガンスが欠けがちなような気がしませんか。
あえて私たちは、ヴエット・エ・ソルベをビオディナミで栽培されたことを調すべきでないと考えます。
偉大なシャンパーニュの造り手にまた一人、新星が仲間入りしたと考えています。
畑と品種:
Vouetteヴエット:1ha シャルドネ、2haピノ・ノワール
Sorbeeソルベ:1ha ピノ・ノワール
どちらの畑もともに標高340mの斜面にあり、ヴエットは家のすぐ裏にある畑で、ソルベは果樹園と森に囲まれた斜面にあり、隣人もないので、ビオディナミの環境がよく維持されています。
もっとも古い畑は樹齢が35年ですが、1985年と1986年の大凍結のために植え替えたので、大半の平均樹齢は20年です。
この地域の平均収量は75から80hl/haですが、タイエを長くすれば200hl/haとすることも可能なので、途方もなく収量が多いのが現実のようです。
が、ゴトロの収量は枝一本あたり1房のみに仕立てるので、わずか20から25hl/haです。
2003年は、ロゼを2樽造りました。
シャルドネはこれまで自家消費用のみでしたが、2004年は100%シャルドネのキュヴェも作られました。
以上 文 合田 康子