<以下インポーター資料です>
フルーリーが、シャンパーニュにおける有機栽培の先駆者であることは広く認められています。
しかしながら、長らく個性あふれる造り手のシャンパーニュに情熱を傾けてきた私たちにとって、
「有機栽培ワイン」以上の興味を惹くような存在ではありませんでした。
が、最近のサロンでテイスティングしてみて、味わいに変化が感じとれました。
さらに2008年から、フルーリーはエルヴェ・ジェスタンとコンサルタント契約をして、根本的な革新を図りはじめました。
20年以上に及ぶ有機栽培の歴史に、新しいページが始まるのです。なんと素敵な展開ではないでしょうか。
ドメーヌ解説:3世代に渡る開拓者。1895年以来、フルーリー家は代々「革新」を信条とし、家族経営のドメーヌとして続いてきた。
1901年:
シャンパーニュ畑はフィロキセラの来襲に見舞われる。
ヴィニュロンであり苗木屋であるEmile Fleury(エミル・フルーリー)は、フィロキセラ耐性の大樹を用いたピノ・ノワールをこの地域に導入した。
1929年:
経済危機到来。ブドウ果の価格とネゴシアン製シャンパーニュが暴落したため、Robert Fleury(ロバート・フルーリー)は自社でシャンパーニュを造りだした。
つまりシャンパーニュ南部において、レコルタン・マニピュラン先駆者の一人となった。
1970年:
環境保護(エコロジー)を自覚したスローガンを掲げ始める
“どのような地球を子孫に残すのか?“Jean-Pierre Fleury(ジャン=ピエール・フルーリー 64歳)は、
エコロジーへの省察と探求を開始し、有機農法による栽培を試み始める。
1989年:
畑の一部をビオディナミ栽培に転換し、1992年には畑全体に施す。
2000年時点:
クルトゥロンの小さな村で、25ヘクタールの畑を3人のヴィニュロンと彼らのチームがビオ・ディナミ栽培を実施。
コート・デ・バールのテロワール:
シャンパーニュ地方では、紀元1世紀からブドウが栽培されていました。その固有なテロワールは
・北部に位置すること
・海洋性気候と大陸性気候の二面性があること
・地下の大部分は石灰質土壌である
・丘陵地の上で栽培がされていること
ブドウ栽培地域の面積は、1927年に法律(AOC法)で確立されました。
コート・デ・バールはかつて海で覆われていたパリ盆地の南東の露出した部分で、沈下していた時のパリ盆地の北東部分の隆起によって、形成されました。
土地の浸食に続く河川の流れが、起伏のある谷と丸みのある丘をもたらしました。
丘にはブドウ畑が規則正しく広がり、調和のとれた畑に並んで森があり、バランスのとれた景観が広がります。
フルーリーの畑は、Seine(セーヌ)の流域のCourteron(クルトゥロン)の小さい村の近郊に位置します。
数10キロメートル離れたところに水源があり、la Laignes(ラ・レーニュ)、l’Ource(ルルス)、la Sarce(ラ・サルス)の分流地点となっています。
この地域は主に泥灰土で構成されています。すなわち粘土質石灰(アルジル・カルケール)は、多孔性の土壌で、ブドウへの水分や養分補給を十分に保ちます。
これらの地層の露出は中生代(ジュラ、オックスフォード、キメリッジ階)のものです。
地下土壌の特質により、適した品種が決まります。シャンパーニュにおける必要不可欠な3品種は、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエとシャルドネです。
私たちの畑の90%はピノ・ノワールが植わっており、10%程度がシャルドネです。
ピノ・ノワールは春の凍結に耐性を示し、ワインにコク、骨格と力強さをもたらします。
シャルドネは、フローラルなアロマを持つフィネスをもたらし、緩やかに熟成を辿ります。
私たちはブドウ樹を丘の上へと移植しました。そこは最上の日射の恩恵を受ける場所です。
様々な小さく分割された区画があり、歴史の中でそのテロワールで生きていた人々の持つ名前がつけられ、昔から識別されてきました
:Champraux(シャンプロー)、
Val Prune(ヴァル・プリュンヌ)、
Val Verot(ヴァル・ヴェロ)、
Charme de Fin(シャルム・ド・ファン)、
Les Mouilleres(レ・ムイエール)、
Meambauche(メアンボシェ)..
ビオディナミ栽培:
1970年、栽培方法について、選択をしました。化学製品をやめ、堆肥と有機肥料を使うこと。
除草剤の代わりに草刈り機と手作業で深耕すること、今日リュット・レゾネで使用されているような植物予防製品を極少量使用すること。
先ず3haから開始し、1992年には所有畑全てに行いました。
この後、ビオディナミへと転換していきました。自社畑15ha、ビオディナミをともに志してきた友人の畑8haのブドウを購入し、年間生産量は20万本。